最近の悩みは日本語力が落ちていること。もうね、日常表現が出てこない。今日はスーパーにファイルを買いに行ったが、ファイルという単語がとっさに出てこなくて、「何か、紙を閉じる物はどこにありますか?」とか言って怪訝そうな顔をされた。もしかしてchinese?みたいに思われたに違いない。

そもそも日本語というのは難しい言語だと思う。昔から難しい単語は使いこなせないし、時々すごく基本的な単語の使い方の間違いを未だに指摘されたりしてびっくりする。今までの人生、難しすぎる漢字は、文字化けだと言うことで流してきたけど、昨今はUnicodeの影響か、そういう言い訳も通用しなくなってきた。みんな、一体どこでそんな国語力をつけるのだろうか?

そういえば漢検(?)のシール見たいのがよく電車に張ってあるけど、ほとんど解けたことがない。なんか流行りのDSの漢字の勉強のソフトでもやってみようかとか思ったりして。iPhoneとかでも出来るのかな。ああいうのって、どうでもいいけど、漢字の識別って精度良くてすごいよね。

言語と言えば、プログラミング言語も言語だし、やっぱり「言語野」に入る容量は限られてるに違いない。もしかして、スクリプト言語とかが増えてきすぎると、みんな言葉しゃべれなくなったりするのかな。関数型とか、sequentialな言語に比べてextraな容量食いそうだよね。やっぱ日常生活を正常に送るためにも、プログラミングのパラダイムは一つにしておいた方がいいね。

最近、研究をしている。研究というのは、場所を変えたりしながら、パラパラやるのがポイントだと思う。家にいて寝たりしながらやる方法もあるけど、一人暮らしなのでいかんせん家が狭くて息が詰まるので、最近はパラパラの方を採用している。

真面目な話、2~3時間と、その後でパフォーマンスが5倍くらい違う気がする。5倍って言ったら、3時間やった後に3時間作業しても実質4時間弱と一緒。つまり、いかに気分を変えながら進めるかにかかっていると言える。

また、パラパラすると言っても、最初に行ったところは何か落ち着かないし、でもあんまり行き過ぎると(特にスターバックスとか)店員が話しかけてくる的なイベントが起こるし、ある程度分散させることが重要である。

ということで、作業する場所リストを作成。

良くいく場所:
・オフィス(雑司が谷)
・家(駒沢大学)
・実家(すずかけ台)
・ドトール(駒沢大学)
・エノテカバール・プリモディーネ(駒沢大学)
・スターバックス(町田金森)
・セガフレード(長津田)

ごくまれにいる場所:
・研究室(SFC τ館2階)
・W3C(SFC τ館4階)
・スターバックス(玉川高島屋)
・さむしんぐ(雑司が谷)
・TOKYO PEOPLE'S CAFE(駒沢大学)

ごくごくまれに行く場所:
・マメヒコ(三軒茶屋)
 問題:おしゃれマダムが多すぎる。横でビール飲まれるとやる気が減る。
・tocoro cafe(三軒茶屋)
 問題:本格的すぎる。ラップトップをパチパチするのは相当の気合いが必要。
・アヂト(駒沢大学)
 問題:なんか気に入らない。
・オンブラ(駒沢大学)
 問題:遠い。

最近、気づいたのは、ファミレスがいいということ。サイゼリアは嫌いなので、ジョナサン・デニーズあたりからかな。

ので、何を食べるか考えてみる。昨日はお昼がドトールのサンドイッチで夜が中華。今日は朝食べなくて昼は近くのイタリアン的なカフェでプレート(前妻がおいしかった!)。
うーん。なんだろう。牛肉的なものが食べたいような気がする。

社会的なモードに自分を切り替えてしばらくたつけど、気づくのは、勉強(学問?)が出来なくなったなっていうこと。社会で生きるにはある程度の余裕やバランス感覚を持っていることが重要で、そして(少なくともとも僕にとっては)勉強というのは自分を追い詰めてやるもの。

普通の本なんかは全然変わらず読めるんだけど、数学系の新しい理論とかは何だか入ってくるのに大分時間がかかる。隣の研究室の子が「数学は頭に溶かしていくものだ」って言ってて、いいこと言うなと思ったけど、何となく溶けてこない。感じがつかめないっていうか、なんていうか。

学問をやっていて結果が出ればいいんだけど、昨今はそういう時代でもないのも問題。どちらかと言えば、社会的なモードの方がアカデミックな世界でも成果が出せたりする。論文も昨今はやっぱり分かりやすさ重視。だから、ある程度のバランス感は必要にしろ、追い詰められた感じより、自由な感じからでたコンセプトの方が(特に海外では)受けがいいんだよね。

こちらのモードの毎日は楽しいけど、でもやっぱりどこか浅はかさを感じて、時々、哲学っぽい疑問が頭をよぎったりする。「なぜ一体、存在者があるのか?」とか。僕の潜行力ではとても浅いところまでしか達せなかったけど、そんなことばかりを考えていた日々が少しなつかしい。

そして、世の中的には今のほうが受けがいいけれど、理想的には、前のほうがあるべきモードであったような気もする。でも、「あるべき」っていうのはとても重いことで、大変だから、「ありうる」姿とは全然別なんだけど。

久しぶりにセンスのいいなと思う子がいる。頭がいいというよりセンスがいい。自分の中に解があるっていうのかな。話してて小気味良くて楽しい。

うまく言えないが、人には固有の思考というものがある。人間、自分らしい解を出せる領域というのはとても狭い。でも、その領域に入ると、固有な思考が出せる。だから、その領域にはまって仕事をしている人と、そうでない人ではとても大きな差が出る。才能というのは、大概においては、その領域を適切に見つけられているかどうかで大半が決まるのではないかと思う。

ところで、typicalな議論というのはつまらない。ある程度仕事を続けていると、大体どんな話でも1000回くらい聞いた議論のような気がしてくる。10回目くらいだなと思うと、もしかしたら違う結論が出るかもと思ってやる気を出したりするが、大体は一緒。だから、行動あるのみって感じになる。

しかし、大事なのはやはりコンセプト。違う捉え方をバーンと打ち出していくようなことが面白い。僕もそろそろ長い勉強期(休眠期?)を終えて、新しいものを出していこうと思ってるので、長期(2~30年)のスパンでの仕事を捉えなおしてみたいと思っている。僕に欠いているもの、そして似通ったもの。その辺のバランス感を取って、どう進めるかを考えていきたい時期。

とか書いていたら、何の話だかよく分からなくなってきたけど、やはり最終的にはセンスが大事だと思う。センスとスピードで、爽やかに仕事をしていきたい。それにはチームがが大事だよね。って最初の話と全然関係ないな(笑)

思考を記述しようとすることを考えると、我々はとても少ないパターンしか持ってないことに気づく。我々は我々を記述することに関して、あまりにも少ないパターンしか持っていない。現状発明されているパターンの中では、ほとんどの部分で我々は記述できない。

パターン自体の正当性、つまり確実な知識にのみ依拠して考えていこうとすればするほどに我々は記述性を失っていく。記述の正確性に近づこうとすればするほど、「語りえないことについては人は沈黙せねばならな」くなる。

仮に存在が重さを通じて感じられるものとすれば、抽象化して物事を捉えるということは、実践的には存在に近づけるということだと思う。我々の知識は、確実なものであればあるほど、我々とほとんど関係しない。そこには存在の重さの影は薄い。つまり情報が一定以上爆発すると、我々は実は存在に近づいていく。それが大衆の魔力でもあって、集団の良さでもある。

ニーチェが、混沌と秩序の行き来の中に芸術の進化があるみたいなことを言っていた。秩序とは制御可能であるということでもある。我々は我々自身が制御できる範囲を広げることで進化をしてきた。現代はおそらくその進化度合を大きく見誤っていて、その進化への試みをやめることで我々がどうなるのかということについての想像性を欠いている側面もある。

存在の近くに我々を置くことを是とするのも良い。というより常にそれは是であるべき。しかし、世の中はおそらくパラレルである。他方の世界にはただルールがある。記述された、時間のない、普遍的で、八百万なものが多分ある。そこに来ると我々は真摯さを求められる。しかし、それはあくまで世界とは別の場所である。

最近、会社の業務がだいぶ体系化されてきて、研究に割ける割合が増えてきた。研究は一人でするものなのでどこでも出来ると言えばできるのだけど、パフォーマンスがかなり気分に依存するので、何となくいろんな場所でやりたくなる。

うちの近く(駒沢大学)に広いドトールがあって、かなりヘビーユースしている。スターバックスとかでもいいのだけど、なんか照明が暗いのと、集中してる時に店員さんが話しかけてきたりするので、あまり気乗りしない。

オフィスに席があるから、オフィスでやればいいという話もあるが、研究に集中していると、他のことは考えられなくなるので、そういう気もしない。仕事はやっぱりコミュニケーションが大事だし、オフィスにいるときはあまりそういうモードにしたくない。

せっかくSFCなんだし、学校に行けばいいとも思うけど、いかんせん遠すぎる。バスも合わせて片道1.5~2時間かかるので、わざわざ作業のために行く気がしない。でも、SFCにも週1~2回くらいは通うんだろうし、キャンパス内にもどっかお気に入りの場所を作るといいのかも。

たぶん図書館とかいけばいいっていう話かなとも思うけど、キーボードをバタバタずっと打ってるとちょっと迷惑かなとか。六本木ヒルズライブラリー的なものの会員になってみるとか?誰かが論文の仕上げは大江戸温泉でやるとか言ってたけど、そんな方向性とか?美術館のカフェみたいなところとか?

そんなことを考えてると、大体ドトールになっちゃう。車でびゅんびゅん移動できたりすると、いろいろ変わるのかもね。

こんなエントリーも。
http://q.hatena.ne.jp/1227253731

プログラミングをする上で、何が面倒かと言われれば、数個あげたら絶対に入るのがエラー処理だ。という意味で、エラー忘却型コンピューティングは本質的である。

そして、また数個あげたら入るのが、パフォーマンスだ。という意味で、富豪的プログラミングは本質的である。

世界は常に本質的な方向に動いていく。ということで、これからは我が社でもエラー忘却的で富豪的な、エラーは忘れて王族的な富豪感覚を持ったプログラミングを推進していこうと思っている。我々は忘れることで辛いことを乗り越え、お金を持つことで、豊かになっていく。これからのクリエイティブな時代は、そうした余裕のある気持ちで仕事にのぞんでいくべきだ。

エラーは起こらないことにしよう!起こったら忘れよう!コンピュータのパフォーマンスはムーアの法則で改善されることにしよう!プロセッサが4個になったらパフォーマンスだって4倍になるに違いない!ならなかったらクラウドだ!

先日買ったSONY Readerが届いた!思ったより小さいけど、かわいくて、なんかいい感じ。eReaderは使うの初めてなので、テンションがあがる。日本語は読めないので(読めるようにできるらしいけど)洋書しか読めないけど、重いのは洋書なのでまあ良し。思わず10冊くらいコピーしてしまった。これだけ読むだけでも数カ月はかかりそう。。。(笑)

ただ、論文を入れると、そのファイル名ではなくてPDFのタイトルが表示されてしまって、タイトルまでいちいち書き換えてないので、一覧表示するとどのファイルだか分かんなくなっちゃうのが問題。みんな意外とWordで論文を書いているらしく、Microsoft Word - xxx.docxみたいな名前が大量発生した。うーむ。

SONY Readerを当社の通称アンテナ君が代理で買ってくれた。Kindle対抗で、かなり安い。僕はなんか雰囲気で高い方にしてしまったが、安い方なら$199。海外から取り寄せているらしいので、多分来週くらいには届く感じかな。今から楽しみ。

僕は勉強をするのは外のカフェとかの方が好みで、ちょっとした時間にやりたいんだけど、アカデミックな本は特に厚いし重いし、一冊でも持ち歩くのが大変。ほんとは数冊持ち歩いて気分によって読む本を変えたいんだけど、ラップトップを持ち歩くと一冊でも腰的にギリギリって感じで、どうしても洋書だとオライリー的なカバーが分厚くないものを優先的に選んだりしてしまう。その辺りの問題を一挙に解決しようという試みだ。

特に最近の本は、なぜかPDF版が無料で(しかも最新のものが)Webに載っていたりするし、むしろPDF版だと出版中途のものも含め、本より早く入手できたりする。もちろん論文もたくさん入れておけるし(かばんの中でぐしゃぐしゃになったりしないし)研究的な活動をする人間にとっては、そろそろeReader系はかなりの便利ツールになってきつつあるような気がする。

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